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2010年歴史的猛暑の中の白山のんびり登山

記録


 山田 健

とにかく暑い。そろそろ9月になろうとしているのに猛暑日、熱帯夜が続いている。どないかしてくれ〜!と叫んでもよけい暑いだけだ。こうなったら、自分から行動すべし。どこか涼しいところでのんびりしよう。そうだ、この際、あくせく歩き回る登山は止めて、読みたい本やスケッチブックを持ってテントで定着しよう。行き先は白山、南竜ヶ馬場がいい。これまで夏には2度訪れたことがある。標高2千mのお花畠と草原が広がる雲上の天国である。思い立った時が行きどきだと、前の日にとりあえず必要な装備を車に放り込んで、8月27の早朝に家を出た。料金無料になった舞鶴若狭自動車道を通って、小浜からはケチってずっと地道を走る。途中で食料買い出しなどしながら行くと、結局登山口の別当出合に着いたのは午後の1時半になっていた。標高1260mの別当出合まで来ればずいぶんと涼しいはずだとの思惑ははずれ27℃もある。一日で一番暑い時間帯だった。急いでパッキングしたが、本やらスケッチブックやらのお楽しみグッズ、買いすぎた食料、快適性を求めた4人用テントやらでかなりの重さになってしまった。こんな重い荷物は、Ata氷河の撤収以来だ。駐車場からビジターセンターまで5分くらい歩いただけで汗が出る。水を2リットルと多めに持ってさらに重くなった。登山道は最短の砂防新道で、歩き慣れたコースだ。2時出発。一歩ごとに汗がぽとぽと落ちる。人間がこんなに汗をかくものかと驚く。途中、中飯場と甚ノ助避難小屋で水を補給したので、南竜ヶ馬場に着くまで合計3リットルは飲んだだろう。これがほとんどすべて汗となって出た勘定だ。帽子、シャツはもちろんパンツやズボン、靴下まで濡れていた。とにかく5時40分に目指すテント場に着いた。さすがにここまで来ると結構涼しいが、蝿、虻など虫が多い。以前はこんなに居なかったと思ったが。これも温暖化の影響か。ラジオの天気予報ではこの先もずっとよい天気(すなわち下界では猛暑)が続くらしい。



南竜ヶ馬場のテント場とキャビン


28、朝はゆっくりとし、7時から別山へ出かけることにした。テント場から一度沢に降りて、ここから標高差250mほどの「油坂」を登る。登るにつれ、背後に御前峰が姿を現わす。火山特有のゆったりとした稜線を左右に従えて美しい。油坂の頭まで登ると南側の展望が開ける。別山までの稜線は概してゆったりとした広い草原状であるが、中間部で両側から浸食されたガレがある。早速スケッチブックと鉛筆、練りゴムを取り出し、30分ほど別山方面(別山自体は手前の御舎利山の陰で見えない)のスケッチをする。稜線の変化はあるが主役となるものがなくちょっと物足りない。広い稜線を南に向かう。途中「天池」という池塘がある。


天池と御舎利山(右奥)


天気も良く、すばらしい稜線漫歩といったところ。意外に早く御舎利山の肩に着く。目指す別山のピークが200mほど先に手招きしている。10時、別山到着。振り返ると、御前が大汝を従え雄大に鎮座している。これも絵になりそうなのでスケッチブックを拡げる。主役は当然御前峰で手前に別山神社の社を入れてポイントをつくる。まあまあの構図だ。



別山からの御前、大汝(左)


1時間ほど別山に居て、のんびりときた道を引き返す。御前峰を正面に仰ぐ油坂の途中でまたスケッチする。




テント場に咲いていたハクサンフウロ

御前に抱かれるような南竜ヶ馬場の山荘の屋根の赤がポイントとなり、そのまわりの笹原のゆったりとした緑の凹凸が美しい。夏雲もいい形だ。手前に背の高いミヤマシシウドの花を入れればいい絵ができそうである。3枚目のスケッチは今日一番の収穫だった。

テント場に帰ったのは1時半になっていた。今日は土曜日なので、テントがいっぱいできている。横にある5棟のケビンも満室らしい。涼しい高原でゆっくりと過ごす。














エコーライン入口から油坂の頭(左端)と御舎利山(右端)


8月29、5時15分の日の出とともに室堂へ向けて出発する。テント場に居た人たちはすでにご来光を見るため出発している。途中アルプス展望台というところからは、白馬から穂高まで北アルプスのほとんど、乗鞍、御岳、八ヶ岳、中央アルプス、南アルプスの赤石岳まで見渡せた。今日もいい天気だ。



アルプス展望台からの剱、立山(右端)、三方崩山(手前)

室堂平に登り着くと、右から大白川ダムからの平瀬道が合流する。昭和50年の春、1年生の春山のときに酒井さん、森長さん、広石さん、中川、右田とここから大白川へ下ったことを思い出す。そのときは、遙か北方の大笠山、笈ヶ岳から延々と縦走して白山に登り着いた。平瀬に下ったときに、石川の白峰村中宮から山を越えてきたと民宿のおばちゃんに言ったらすごく驚いていた。初めての長期の雪山だったので非常に印象深く覚えている。
さて、室堂まで来ると人が多い。7時。ご来光を御前の頂上で迎えた人たちが室堂に帰ってきた時間帯だった。これから室堂で朝食を済ませて下山にかかるのだろう。白山神社の横から御前へ登る。



室堂の白山神社、背後は御前峰



御前峰からの大汝峰と翠ヶ池



今回で5回目の登頂。御前の頂上はやはり人が多い。反対側の剣が峰と大汝、その間にある翠ヶ池などの火口湖が見える。この荒涼とした景色とは対照的に、来し方をみれば昨日登った別山が緑色の毛布をかぶせたようにゆったりと鎮座している。別山の背後に幾重にも山が重なって奥行きがあり、雲の感じも良い。手前の室堂の赤い屋根がアクセントとなり絵になりそうな景観だ。人が多い場所を敬遠して、頂上から少し離れた御宝庫と呼ばれる岩峰の上に陣取って小一時間ほどスケッチする。今日はこの1枚で満足した。



御宝庫からの別山、室堂


その後、お池巡りの道に入り、大汝に登る。この頂上は昭和50年の春以来である。その時に縦走した、北部縦走路が見渡せる。遠く大笠山、笈ヶ岳から三方岩山、間名古の頭、三方崩山など懐かしい山々だ。特にお花松原から最後にこの大汝に登り着くまでの稜線の細くて急なこと。夏道は右のカールの中を登っているが、3月では雪崩が怖いので稜線を登った。こうして見下ろしてみると、よくぞ1年坊主が大きな荷物を担いでここを登ったものだと今更感心してしまう。大汝頂上から反対側(岩間温泉方面)へ少し下り、大汝の西面をぐるっと回って千蛇ヶ池へ帰る道をたどる。ホシガラスが遊んでいる。大汝の西側は東側と比べて緑が多い。強烈な緑色がまぶしいくらいだ。千蛇ヶ池まで戻ってくる。池の説明板には、白山を開山した泰澄大師が千匹の蛇を万年雪の下に封印したと書いてある。もし万年雪が融けたら直上にある御宝庫(先ほどそこでスケッチした岩峰)が落ちてきて封印するとある。昨冬の少雪と今夏の歴史的猛暑で池の雪も少なくなっている。秋まで保つだろうか。もしかしたら開山以来の万年雪が融けてしまうのでは?など要らぬ心配をしてしまう。



大汝峰から見下ろすお花松原、北部縦走路方面

室堂まで戻ってくるとお昼になっていた。うろうろと5時間も頂上付近で遊んでいた勘定だ。相変わらず人が多い。早朝から登りだした日帰りの人たちが、室堂に到着する時間帯らしい。そこここでそのような会話が聞こえる。室堂でも日陰に腰掛けて小一時間、意外と多いファッショナブルなメッチェンの品定めなどして過ごす。その後トンビ岩コースを南竜ヶ馬場に下る。日差しが強烈で暑い中、2時前にはテント場に着いた。日曜日のこの時間にはほとんどテントがなくなってしまっている。自分のテントを含めて全部で3張しかない。昨日とうってかわって静かな午後だ。テントの中は暑いので、炊事棟に行って、誰も居ないのをよいことに、パンツ一つになって頭から水を被って涼む。涼しい風が通って天国だ。先日古本屋で見つけた昭和36年出版の「悲劇と幸運の山アピ」を読む。同志社大が初登頂したときの記録で平林さんやギャルツェン・ノルブが出てくる。そのころの遠征隊の苦労は近年の我々の遠征の比ではない。日差しがゆるむ4時ごろまでそうしてのんびりした。

8月30日、今日は下山するだけだ。暑くならないうちに下ろうと、5時半にテントを撤収し砂防新道を下る。6時過ぎに甚ノ助避難小屋を通過したが、早くも下から登ってきた人とすれ違った。8時前に別当出合に着いた。すでに猛暑が始まっている。車外温度37℃の福井を通って、加古川の家に着いたのは3時。その日のうちに干し物をして後片づけをしてしまう。夜、高速を走って帰ってくるのは非常に疲れるが、今日のように時間に余裕のある行動だとずいぶんと楽だ。今回の登山は前夜発1泊2日でも可能だが、3泊4日にしたおかげで十分山を満喫した気分でリフレッシュできた。たまにはこのような中高年ペース登山も良いものだ。



(蛇足)◇

現地ではあれほどすばらしいと思った景色が写真にすると実につまらなくなることは良く経験します。油坂から見た御前峰の景色も、スケッチと同じ所から撮影した写真と比べると、構図が違うことがわかります。現地では下に見える南竜ヶ馬場の小屋から室堂平あたりまで伸び上がる山腹のボリュームが大きく、その上に頂上ピークがさらに高いところにある、つまり大きな高度感を感じるのですが、写真では山腹の占める部分が小さくなり、高さが感じられなくなっています。これは広角系画面の宿命で、画面の中央部が端部より圧縮されているからです。景色を広く画面に取り入れたいと思うとどうしてもズームが広角系になってしまいます。また、色も現地では写真よりもっと鮮やかな緑色をしていました。


油坂からの御前峰(写真)

油坂からの御前峰(スケッチ)



プロの画家は写真だけを元に絵を描くのは邪道であると言います。現地で油彩なり水彩の作品を直接描くのが理想であり、それができなくても、少なくとも現地でスケッチ(下書き)して、水彩などで着色まですることが多いようです。理由は上記のような写真の性質(欠点)でありますが、山も登りたい、絵も描きたいというような我々アマチュアはなかなか1カ所で時間をそれに費やすことはできません。結局、現地で鉛筆スケッチのみということになります。それもできないなら、つなぎの望遠系写真だけ撮っておくという邪道に走ってしまわざるを得ません。

先ほどの下書きスケッチに、家にかえってから水彩着色したものがこれです。これはまだ作品ではなく、構図や色はこれを元に、細かいデテールは写真(つなぎの望遠系の写真)を補助に、最終的に油彩画や水彩画に起こし直すこととなります。今回の油坂からの御前峰も油彩画に起こそうと考えていますので、完成したら山岳会のホームページに掲載したいと思います。


油坂からの御前峰(スケッチ+水彩着色)